パピッター

超雑多に日常を綴ります, ほぼ毎日更新?

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このへんの話の続き. 今朝, ふと理解が行われて, 「能動的に届けられた情報は絶対に受け止める」, 「受動的に届いた情報は取捨選択する / そもそも届かないように調整する」という, シンプルな基準を置いてやっていくのが良さそうと思った.

つまり前者は, 何かしらの事情で自分がその情報を理解しないといけない, と思って届けられたものなので, どれだけ精神的に辛いものであっても, 目を通して, 理解して, 対応をしないといけない. 例えば仕事上のやり取りとか, そういうのはこっち側になりそう. そういう情報は, とにかく受け止めるか否かの取捨選択する訳にもいかなくて(もちろん受け止めた後に, どう対応するかといった取捨選択というか優先度付けは求められる), やっていく必要がある.

以前何かで見たけど, 現在の人間が1日で見る情報は江戸時代の人間の一生分の情報を見ている, みたいな雑学があって, 情報技術の進化を考えればさもありなん, と思った. 要するに, そういう情報を可能な限り受け止めるのはそもそも現実的に不可能であり, また現実社会と同じく玉石混交だし, 些細な情報まで流れてきて, それによって精神衛生に影響が出たりするので, よしなに情報を取捨選択したり, そもそもとして情報が届かないように調整するのが大事そう.

人間として非常に弱いので, 例えば他人の成功とか, 自慢とか, そういうのを見ると, 身近な人には全然感じなくて, むしろ嬉しくて, 祝福出来るのだけれど, 一方で中途半端な距離感? の人に対しては, 嫉妬みたいな気持ちを感じてしまって, そういうのを感じる自分自身に対しても失望感みたいなのがあって, 良くない感じになる. Twitterだと, 先に述べたように「一方的に知っているけど, 会ったことはない」みたいな, そういう中途半端な距離感の繋がりがたくさん作ることができるので, 結構そういう感じになりがち. それはTwitterの良い所でもあるのだけれど, 自分みたいな人にはそういう盲点? もあったりした.

例えば, 今だと丁度アイマスのライブのチケット当落みたいな情報が流れているのだけれど, 知人の当選は喜べるけれど, Twitterに流れている「当たった!」みたいなツイートを見ていると, 特にチケットが手に入らなかった時とか, 「羨ましい...」みたいな気持ちになりがち. そういうのが繰り返されていく中で, 「アイマスが好き」という気持ちを, 一方的で理不尽な不満とか嫉妬みたいな気持ちが打ち消して, マイナスになる時がありそうで, そういうのが怖い.

まあ結論としては, 「自分に届く情報のコントロールをしっかりやっていきたい」っていう感じです. よろしくおねがいします.