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語弊があるのを承知で言うけど, 「楽しくない情報」みたいなのがあって, そういうのが入ってくる範囲は制限したい気がする. 例えば, 仕事において, 楽しいこともあれば, 辛いこと, 悲しいこともあって, そういうのからは逃れられない気がする. 家族とか友人の話題もそう. 一方で, Twitterとか見ていると, 様々な人の楽しい情報が見れていいね, という話題もありつつ, 同様に楽しくない, 辛いこと, 悲しいことの情報とかも入ってきて, そういうのを仕事や友達の出来事と同じ感度? で見続けるのだいぶ精神的に辛い気がする. 昔は, Twitterの情報を取捨選択するの, やりすぎるとバイアスかかってよくないのでは... と思っていたけれど, その取捨選択を仕事や身近な友人関係に取り込まなければ良いのでは? という気がしてきている. 同じようなこと前も書いた気がする.
一方で, ネットとかで流れてくる「楽しい情報」,あるいは「都合の良い情報」をどう処理するか? みたいなのもあって難しいなと思う. ネガティブな気持ちを起草するものをカットしていくと, どうしてもそういう情報が増えてきて, 今度はそれをうまく扱う必要がありそう. なんか, 情報化社会においてうまく情報を扱う, というスキルがめっちゃ求められつつある昨今だな, と思ってきている(多分前からそうなんだけど, 昨今のアレコレで改めて気づいたという感じ). なんかいい本ないかな?