パピッター

超雑多に日常を綴ります, ほぼ毎日更新?

会社のグループウェアで, 雑談として成績や学業などについての思い出話が行われていた. 別に会社のグループウェアに閉じている必要はないので, 雑なブログに書きます.


成績の思い出と言うと, やっぱり高校時代の事がよく思い出される. 当時はネトゲで遊びまくっていた学生で(テイルズウィーバーとかやっていた), テストは一夜漬けで乗り切るような学生だったので, 明らかに大学入試に耐える学力がなかったため, 高校3年の頃になると親には「受験しますよ〜」という姿勢を見せつつ, 内心は推薦狙いに切り替えたりしていた.

当時は大阪の公立高校に通っていて, そこには一定の内申点(5段階評価の平均)がある学生に入学枠を与える指定校推薦制度があった. 関西の私大と言えば関関同立で, まあそこくらいは行きたいなーと思っていたものの, 自分の内申点は3.9だった. だいたい関関同立だと4.0は必要になるので, 「アア... オワッタ...!」と思ったのだけど, 何故か関学の情報科学科"だけ"3.8以上という条件だったので, これだ!!! という事で親を説得して推薦枠をGETしたのだった.

ただ私大を受ける条件として, 「実家から通うこと」と言われてしまって, 神戸の山奥まで毎日2時間半かけて通学していた. お陰で長時間交通機関に乗ることに耐性ができて, 今の旅好きに繋がっている気がする(?).

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それはそれとして, このエントリにも書いたのだけれど, 関学でPerlと出会ってしまったが故に(?)こういう人生を歩んでいるので, もしあの時成績がもうちょっと良くて, 内申点が4.0あったら, 違う未来もあったのだろうな〜, と思ったりしている.


あと成績に関わるおもしろエピソードとしては, 大学の頃に新型インフルエンザに感染して1週間出席停止になったところ, テスト期間と重なっていて, 8科目分試験を受けられなかった結果, 2日で8科目の追試を受けた思い出とかがありますね. 最後の方は追試の受験者が自分以外いなくて, 試験官2人と大部屋で3人... みたいな感じで大変気まずかった. 先生も察してくれたのか, だいたいギリギリの成績で合格出来たのだけれど, あれは大変だったなあ...