パピッター

超雑多に日常を綴ります, ほぼ毎日更新?

僕にはとにかく, もうどうしようもなく嫌いな人が1人だけいて(念のために申し添えるとこのブログを読んでいる人ではないです, その人はきっと僕のブログ読む機会なんてないと思う), とはいえまあ会社も違うし一切会ったこともないし, これから多分会う機会もそんなにないと思っていて, そういう意味ではまあ僕が勝手に嫌っていれば良いのだけれど, 最近そういう嫌いな気持ちを拗らせはじめていて, その人が関わっているモノとか, その人の周辺のモノに対してもマイナスの気持ちを抱き始めている自分がいる.

「拗らせ始めた」っていうのは多分正しい解釈だと思っていて, どういうことかというと自分の中の理想と現実のギャップがあって, それが拗れて今に至ったんだと思う. つまり, やっぱり自分としては穏便にやっていきたいし, 人の事を嫌いになりたくないと思っていて, 「自分が他人に対して嫌いという感情を持ちたくない」という理想があって, 一方で現実問題どうしても相容れない, 嫌いな人がいて, そのギャップでいろいろ拗れていったのだと思う.

「自分が他人に対して嫌いという感情を持ちたくない」, っていうのは多分, 「自分が誰かのことを嫌いと思うなら, きっと他の誰かも自分のことを嫌いと思うだろう」みたいな, 因果応報的な...? そういう考え方が根底にあると思っていて, まあやっぱり嫌われるのって嫌なので... そういう意味で, 「嫌われないために, 嫌いたくない」っていうのがあったのかなーと思う.

それでまあ, 改めて考えていて, 一生涯の中で関わることが出来る人って本当に少ないと思うけれど, とはいえインターネットの発達とかあって, 自分たちはインターネットを通じていろいろな人の意見とか生活とかに接せられるようになったので, その中でどうしても意見があわなかったり, 相性良くなかったり, 誰かのやることなすこと全部が自分にとって不愉快な方向になってしまったり, そういうのがあって, 「これは無理...」と思う人が出てくるのは, もう正直, 仕方なのないことなのかもしれない... と開き直りが発生し始めた.

なので一旦, 「自分には嫌いな人がいる」そして「自分もきっと誰かから嫌われているであろう」というところ, きちんと受け止める(?)必要があるのだろうと思った. そうすれば, 理想と現実のギャップでいろいろ拗らせることもないはずで, そもそもとしてそうやって拗らせる余裕があるなら, むしろ嫌われないように気をつけたり, 嫌った/嫌われてしまった人とうまくやっていくには, 或いはそれを克服するためには? といった所に思いを馳せる方がまだ有意義な気がする.

まあなんか30歳近くになってきたけど, まだまだ自分の感情とか, わからないこと多くて, 40歳のことを不惑って言うけれどあと約10年でそういうので惑わないようになれるのか? という気持ちがある. ちょっと人生難しすぎませんか...?????